2011/01/26
No. 263
山懐に抱かれた村、入江に沿う美しい町並み。そんな佳景絶景に乏しい江戸や東京とは、遠くを望むことを大切にしてきた都市である。とりわけ晴れた日。至るところの富士見坂から富士の円錐を捉え、湾の出口あたりに太平洋を感じている。姿は見えないけれども、上野の山や浅草寺のゆく手には日光東照宮があり、大権現に江戸が護られていることを意識している。これらはかなりの遠方ながら、風景を手元に確実に引き寄せている。江戸の住民の身近なところでは、日本橋のたもとに江戸城の天守が視認できる「抜け」があった。中央総武線が走る神田川の渓谷をまたぐ聖橋のように、移動しながらその姿を見られることを前提としてデザインされたものもある。軸線の交差する地点に門やオベリスク、噴水や大聖堂が座るパリやローマと異なり、幾何学的な都市計画が何度も夭折してきたこの都市は、江戸から明治、そしていまもまだフォーカルポイントをずっと探し続けているような気がする。
景気が低迷すると、建築界では、最近はクレーンがあがっていませんねえ、という表現が使われることがある。それはきっと、一般的にある心理なのだろう。確かに、いつものまちに出現するタワークレーンは胎動を予感させてくれる。たとえば、サントリーの缶コーヒー・BOSSのテレビCM(放映中)には「この惑星の住人はなぜか上を向くだけで元気になれる」というコピーが登場する。画面の中でいろいろな人々が見上げているのは工事が進む東京スカイツリーである。一緒になって見とれているようすは実にいい。関東大震災で崩落した浅草の十二階(凌雲閣)の華やぎを惜しみ、東京タワーや霞ヶ関ビルに戦後史やドラマを重ねあわせてきた東京は、また新たに見上げる視線を獲得したようである。見上げつづけることは東京の歴史なのだ。