建築から学ぶこと

2005/11/16

No. 9

建築と身体との回路

まちづくりなどで行なわれるワークショップには、身体を通してものごとを理解する側面がある。手を動かしたり、他の人と会話をしたりすることで、頭だけでの理解がより深みのあるものになるか、普段思いつかない発見をする。こうしたとき、頭が身体の一部であることが実感される。少なくとも、身体からさきに建築に近づくわけである。

われわれは、模型でかたちを検証したり、建築現場へ出向いたり、対話を繰り返したりしながら、設計をまとめる。身体を使うからこそ、魅力と説得力のある回答が導き出せる、そう思っている。ここでは、建築と建築家の身体との間には明らかにつながりがある。ただ、個人住宅でない限り、できあがった建築を使う見知らぬ人たちは、そのことは知らない。となると、何とかして彼らの身体と建築とを結びつけたいと考えたくなる。誰にとってもそれらの関係に新鮮な発見があることは楽しいはずだが、三鷹・天命反転住宅をともにつくった荒川修作(1936-)は、楽しさより、そこに哲学的な意義を感じている。いろいろな「障り」を感じることで建築の手ごたえを実感し、それによって使う人の身体は変わる、という考えである。押しつけがましいと捉える向きがあるかもしれないが、確かに設計時に持った実感が、引き渡した後もうまくバトンリレーされているように思う。

こうした、建築に強い関心を持つアーティストの視点には、時々はっとさせられる。ローリー・アンダーソン(1947-)は、今年「時間の記録」という名の回顧展を東京で開いたが、これは空間との関係性のカタログというべきもの。鑑賞者に積極的な関与を求めていた。ゴードン・マッタ・クラーク(1943-1978)は、住宅をまるごと切断してみせ、それがもたらす不思議な視覚世界から、ありふれた風景を問い直した人。彼ら3人がニューヨークで同じ時代を共有したことは興味深いが、いずれも建築と身体との関係を問い直そうとしている。

佐野吉彦

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