建築から学ぶこと

2011/02/23

No. 267

偶然も必然も

歴史における選択とは偶然なのか必然なのか。古来それらの見方は拮抗してきたとも言えるが、相補的関係にあったとも言える。突然の変異・変容はあっても、長い目で見れば必然であるようにも見えるからだ。いずれにしても、人類は予定調和説に立つ視点(ダンテの「神曲」のように。ただし、「神曲」の魅力は個々のエピソードの面白さにあるのだが)と、世界は偶然でできていると考える視点(たとえばユダヤ系作家であるウディ・アレンやポール・オースターが明らかにしているような。)の両方を持っている。

おそらく、ひとりの人生のなかにも両方があるだろう。見取り図どおりに事が運ぶこともあるし、一向に運ばないこともある。その不確定性と向き合うのが人生の現実だが、古来、賢者は<待つこと>を教えてきた。「果報は寝て待て」(ことわざ)とか、「起きて食べなさい、あなたの道はまだまだ遠い」(旧約聖書を少し意訳)とか。不確定性がもたらす不運を乗り越えるには待つことは賢明な方策だ。

1999年から10年を越えて継続する「取手アートプロジェクト」(茨城県取手市)は、3年ほど前から市内のUR都市機構・井野団地を活動の拠点とし、団地住民と良好な共存を進める一方で、アーティストたちが団地や郊外固有の課題を扱う表現を試みてきている。それまで拠点が移動したなかで取り組んできた歳月が、団地の空きスペースでのスタートと定着をきっかけとして問題意識が明瞭なものになった。これをURサイドから見れば、長期的な団地の持続のためのひとつのモデルと出会ったことになる。多少不運かと感じたかもしれない経緯が、それぞれにとっての幸運に転じたのは、時間の要素が加わったから。長く続いたことによって、予想外の変転が生じたけれども、そのかわり問題が納得できるかたちで解けたというわけだ。

佐野吉彦

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