2020/07/22
No. 730
1848年、イギリス議会は公衆衛生法を制定した。19世紀には急速な工業化が都市の人口集中を生み、32年と47年にはコレラが大流行していた(コッホによるコレラ菌発見は84年だ)。このとき、都市に下水道設備はまだ整っていない。この状況をふまえ、健全な都市環境形成を目指す法制度がようやく姿を現したのである。起草はエドウィン・チャドウィック。その後の98年にはエベネザー・ハワードによる<田園都市論>があり、1924年にはクラレンス・ペリーが<近隣住区論>を提唱し、都市システムの理論的模索が続く。
この流れは労働と居住の適切なバランスを目指したものだが、理論化は第二次世界大戦後の大都市への人口集中を支えるニュータウンの成長を後押ししたとも言える。都心部は賑わってはいたが、空は汚れ、空気は悪く居住環境としては引き続きネガティブな側面を宿していた。結局、労働と居住は二分化する。だが、そこで起こった都市部の空洞化の動きは、1980年代に反転し始める。世界の各都市で同時に進み出した都心の再開発は、住みよい場所を提供した。ここへ来て、人々は労働と居住を両立できる場として都心に目を向け、今度はニュータウンが空洞化の危機に直面する。
このように、都市と郊外とは意外なほど短周期でベクトルの向きが変わってきた。いまCOVID-19の影響を受けて、いやその前から、<都心のオフィスから郊外のリモートオフィスへ>の流れが加速しそうな局面にある。ぜひそれがどのように着地するのか、ここでどのようなインフラやハードウェアがクローズアップされるのかについて冷静に考えたい。経済も学問も政治が、100年から200年のスパンで見れば緩やかな循環があるのと同様に、健全な都市環境形成は、じっくり時間を掛けて方向を見定めるべきかもしれない。
和光樹林公園(埼玉県和光市):のびやかで、使いやすい緑地