建築から学ぶこと

2008/05/14

No. 131

日本とブラジル、移り住む歴史の100年

ちょうど1世紀前の1908年の4月、神戸港から移民を乗せた「笠戸丸」がブラジルへ向った。それまでの主な目的地であったメキシコから、ブラジルに主役が交代した年である。昭和に入ってからの10年は年間1万人の渡航者を数えた後、外交が途絶した戦時中の10年に中断されるものの、戦後も6万人程度の渡航があり、結果として150万人の日系人社会を形成することにつながった。その逆ベクトル、すなわち日本に在留するブラジル人については31万人であり(「在留外国人統計」2006年)、その多くが日系であることから考えると、この100年の交流とは、十分な厚みを備えたものである。

その両方向の旅には、多くの希望や多くの苦難があった。しかし単なる定着の歴史には留まらず、異なる風土を出会わせ、新たな文化を生み出す機会を生み出すものとなった。これまで、日本文化がブラジルでダイナミックに変化・変容するという成果もあったが、日系ブラジル人が日本で活躍を始めている現在は、ブラジル的なるものが日本社会に興味深い変化をもたらすことになるだろう。それゆえ、両国が良好な関係を保つことは、歴史的にみてもおおきな可能性を持つものであると感じる。

さて、今年は日本ブラジル交流年。音楽イヴェントやさまざまな提言活動など、多様に企画される催事のなかで、移民する人たちが渡航前の日々を過ごした<旧神戸移住センター>では、「ブラジル移民の歴史写真展」が開催された。そのなかにひとりひとりの道程を紹介するコーナーも設けられている。戦時をはさんだ24年をブラジルで過ごした井上克さんのコーナーもそのひとつ。現在89歳の井上さんを大事な場面で見守ったのが、会場となっている80年の齢を重ねた建築であるのは興味深い。

それはさておいても、異なる風土と人心を結びあわせたのは、個人の力なのであった。それゆえに、移り住む者がそれぞれの国における歴史のなかに残した足跡は忘れてはならない。そしておそらく、これからどの国の社会を構想するにあたっても、移り住む者が果たす役割は重要となるであろう。

佐野吉彦

アーカイブ

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

お問い合わせ

ご相談などにつきましては、以下よりお問い合わせください。