建築から学ぶこと

2009/03/11

No. 172

400年前のデザイン戦略

若桑みどり著「クアトロ・ラガッツィ」は、天正遣欧少年使節の物語を前景におきながら、1549年のザビエルに始まるキリスト教布教の時代を丹念に追うものである。そこには、無名の日本人たちが外来の教えを正しく理解できていた事実があった。日本と西洋が心の底での深い理解しながら、交流がおこなわれていた。決して異相の宗教の一時的ブームではない。それは、新たな知見を得て人々が自らを省み、純粋な信仰を持つことが可能になった時代であり、そのあとのいくつもの不信と誤解から始まる弾圧がなければ、仏教とも平和に共存することは可能であったと想像する。

このおおよそ80年のキリスト教文化の時代のキーマンは、1579年来日のイタリア人神父・ヴァリニャーノである。この時期、バチカンは宗教改革の衝撃を沈静化するために、対抗策を練っていた。策のひとつが世界布教への取り組みであり、もうひとつが「聖なる画像」のデザインマネジメントである。来日したヴァリニャーノは、日本での布教プロセスを巡察し、この風土に順化する布教方策を選択し、日本人の指導者を育てた。その一環として4人の少年(クアトロ・ラガッツィ)をローマに派遣した。

そして、デザインマネジメントが、教義の誤った伝達を避けるために発動する。印刷機を移入し、和訳された聖書や正しい画像(聖母子像など)の出版や普及、そしてそれらを遂行する能力の育成を推進した。この努力は宗教的実践であることを離れて、適切な交流と周到な技術育成をベースにしてこそ異なる文化が開花し定着する好例と言える。結果としてこれらのテクストとその含意は江戸期に密かに、ブレのないかたちで維持された。それだけでなく、江戸期日本における印刷技術の扉を開いた。蒔かれた種は、無駄にはならなかったのである。

同じ著者による「聖母像の到来」が検証しているのは、400年前に世界布教に向った神父たちが理解していたデザインのねらいと達成した成果である。往時の教会建築は痕跡を留めないが、画像がかろうじて残り、この好著に結実した。

佐野吉彦

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