建築から学ぶこと

2007/09/05

No. 97

山崎の夏

じりじりと暑いある日、山崎に出かけた。淀川の両岸に山塊が迫るあたり、その右岸(西側)の里が山崎である。阪急電鉄の大山崎駅を降りて緑濃い急坂を登り詰めたところが、大山崎山荘、今日の第1の目的地である。1917年に実業家・加賀正太郎が建造した自邸は、今はアサヒビールが所有するところとなり、趣のある美術館となっている。現在公開中の「花咲くころ」展は陶芸を中心としたコレクションや、庭の睡蓮、それに須田悦弘澤登恭子の作品を組みあわせたもの。須田の「小技」は予想どおり見事な組み合わせであるが、澤登の身体感覚に立脚した仕事(2002年に「アーカス東京展」で見たものだ)がこの場所で生きるとは予想を越えたものだった。永遠の美の象徴でもあり、はかなさの表象でもある花がそこに共存していた。ここは普遍性と瞬時性を包含する、不思議な場所である。

この山荘のコレクションは加賀と交友のあった実業家・山本爲三郎の収集による。山本は現在の大日本麦酒(アサヒビール)を興し、加賀は大日本果汁(ニッカウヰスキー)設立のために投資した。アサヒビールとニッカと大山崎山荘はこうした糸で結ばれているのだ。そのニッカの創立者は竹鶴政孝、スコットランドでウィスキー造りを学び、寿屋(サントリー)を興した鳥井信治郎のもとで、その山崎工場を作りあげた経験を持つ人物だ。

1923年完成の山崎工場、すなわちサントリー山崎蒸留所は大山崎山荘から南に少し寄った、開けた谷にある。ここが第2の目的地である。鳥井信治郎も同時代の実業家であるが、国産ウィスキーを造るにあたり、山崎の里を社業勝負の地と見定めた。ここはまだまだ現役の工場ながら、歩いて、見て、嗅いで味わわせて楽しませ、ウィスキー好きの裾野を広げるマグネットとしても名が知られている。

緑豊かなこの里にある2つの名所は、実業家の魂がいまだ息づく空間なのだ。そして彼らの後継者たちが共通のマーケットをめぐっていまだ凌ぎを削っていることは興味深い。さらにどちらも先達の仕事に敬意を表した増築がおこなわれていることが、私には別の面で興味深い。

佐野吉彦

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