建築から学ぶこと

2006/07/26

No. 43

「民」とは誰か?

「国民の信頼に応えるべく取り組んでゆく」あるいは「市民にわかりやすい制度をつくるべきだ」とか、こうした口上を政治家も官僚も好んで使う。あらゆる層に開かれた行政であれ、というのもある。経済団体や業界団体のトップもそうした言いまわしが好きだ。マスコミだって負けてはいない。国民は怒っているとか、やがて庶民にツケがまわってくるとか、義を見てせざるは勇無きなり、といった論調である。

国民、市民、庶民。そうした「民」を理由に持ち出すのは、とてもさわやかで響きの良いものだ。だが心配なのは、時に「言ってみただけ」のような結果になること。正確なバックボーンに基づかない発言が、結局は実用的に親切さを欠く成果や制度を生み出したりもするのだ。いったい、「民」とは誰のことを言っているのか?

「住民」なら、もう一段絞り込まれている。住民は領域や人数が限定されており、彼らの利害・ニーズについては共通したものがはっきり見えているからだ。輪郭ははっきりさせるべきだが、それができなければ、あやふやな「民」を理由にせずに「安定したシステムをつくるため」と言い切ってしまうほうが明瞭な行動かもしれない。

いずれにしても、「民の能力」を明らかにしてから「民」に言及すべきであろう。この「民」は何をどれだけ知識として知っており、認識する力を持っているのか。アンケートも住民投票も効果はあるが、「民」の「知的基盤」の現況を押さえたうえで方策は詰められるべきである。わかりやすい政策や成果の達成に安易に動くのではなく、「民」がその認識力に沿ってきちんと読みこめば理解できるように、中身の濃いけれども、あいまいさのない方策をつくることが望ましい。(たとえば、「民」の建築に関する認知・認識度の基盤が弱いまま、堂々たる施策を掲げても効果は十分ではない。弱ければそれを強化することに取り組みつつ、自信を持って施策を推進すべきだ。優れた建築をつくるために、「民」は大切なパートナーである。)

佐野吉彦

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