建築から学ぶこと

2010/03/24

No. 222

寄りかからない風土

1970年代、都会の若者は北海道に憧れを感じていた。それは国内にあるフロンティア。かくして多くの若者が周遊券を携え、夜行に乗り青函連絡船経由で北を目指した。この地は往々にして「約束の地」となる。幕末にはロシアやプロイセンを含めて熱い視線が北海道に向けられた時期があったし、水産業・鉱業の面でもこの地はずっと必要とされてきた。こう見ると、多少勝手な「コロニアルな眼差し」が注がれ続けた北海道であったと言えるかもしれない。

昨今の北海道の建築のテイストには、厳しい気候におけるプロトタイプ追求に加え、「コロニアルな眼差し」を受け継ぐところがある。それらは往々にして融合する。導かれた、清澄さと明瞭さを伴った解には興味深いものがある。地域に根差す五十嵐淳さんの仕事、大成建設札幌支店社屋、アルテピアッツァ美唄クライン・ダイサムのアルファリゾート・トマム改装など、多様な取り組みを並べてみると、それぞれが自立した感覚を獲得しているように見渡せる。

最近われわれが関わった小樽地方合同庁舎では、外壁に用いた黒い鋼板が通俗的な小樽らしさ(レトロな街なみ!)に陥ることを防いでいる。グラフィカルな効果から発想したわけではないけれども、既存の風景に寄りかからない視点は北海道に似つかわしいものではないか(ちなみに、北海道はグラフィカルな処理において巧みな風土性があるけれども)。

さて、北海道が南方向にむけて送り出した建築文化については、正教会の建築が挙げられる。函館はその布教のさきがけの地となり、よく知られたハリストス教会が健在である。その魂は東京・大阪・豊橋などに伝播して印象深い聖堂を築くことにつながり、そこから内井昭蔵さんが育った(東京はもちろんニコライ堂。大阪の聖堂は上町台地の北の端、現在の中央区北大江公園にあったが、戦時中に失われた)。

佐野吉彦

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