2021/04/28
No. 768
災害や疫病にはある程度の備えはできても、その広がりを事前に正確に捉えることは難しいものだ。4月25日の3度目の緊急事態宣言(地域限定)の発令にあたって、そこまでの政治家や官僚の判断に間違いがあったかは判定できない。少なくとも、これまでの経験や状況分析に基づいて、事態の好転を予測していたであろう。残念ながらそうはならなかったわけだが、今日の日本を率いるリーダーには良い意味でのポジティブさがあり、決して突飛な判断をしないという点では、手堅いと言えるかもしれない。
だが、歴史の動きは必ずしも論理的には変化しない。歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリは「サピエンス全史」(河出書房新社2016)のなかで「歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ」と記している。いつのことになるか定かでないが、COVID-19に振り回されているいまの世界を穏やかに振り返ることになれるかはまだわからないのである。
ハラリによるもうひとつの重要な指摘は、私たち人類が何を目指したいのかが、どうやらきちんと整理できていないことである。15世紀以降に科学革命が起こるまでは、人類の文化のほとんどは進歩というものを信じていなかった、とハラリは言う。それ以降に起こった(概ね、評価に値する)様々な進歩に人類は手ごたえを感じてきた。そうしてグローバル化、デジタル化、地球温暖化とともにある現在に至るのだが、この先の人類社会を維持してゆくためには見取り図をあらためてまとめる必要があるのではないか。
いま、どこの国の政治家も、起こっている事態に対して受け身であり、また国境を越えての対策連携が弱くなっている。COVID-19がもたらした困難のなかでは、様々な分野の専門家(建築を含む)によるひざ詰めの議論の場が失われていることは大きい。それでも何とか見取り図を描く機会をつくりたいものである。そこで方向付けができれば、人類の未来に好ましい影響を与えることはできるだろう。