建築から学ぶこと

2005/11/09

No. 8

名古屋の西、中村を歩く

名古屋の中心市街地は、台地の上にある。名古屋城と、その前面にあるグリッド状の街区構成は、明瞭な都市プランだ。東海道本線と新幹線、名鉄本線は、その台地の西の崖線の下を南北に走る。都市名古屋の賑わいは、長らく鉄道線を境目としていたが、昨今の名古屋駅周辺の急速な整備は、都市の重心を西へ振りつつある。

その駅西に広がるのが、中村区。かつての遊郭の建築も大鳥居も堂々たるものだが、このあたりでは稲葉地町にある給水塔が印象的。1937年完成の土木構築物だが、緑のなかのたたずまいも、新古典主義的な潔さも、一度見ると忘れえぬ印象を残す。当時のこの地域の都市化に際して、給水塔が果たすべき責任感がかたちに刻印されている。給水塔として機能した期間は7年ほどだが、その後は図書館、現在は「名古屋市演劇練習館・アクテノン」となって活用されている。明瞭な造型には、時代を越える強靭さがあったということだろう。

そこから程近くに同朋大学(ほか)のキャンパスが広がっている。この学園は180年前に東本願寺掛所(名古屋別院)に設けられた閲蔵長屋を起源としているが、この地に根を下ろして85年。興味深いカリキュラムが「名古屋・中村学講義」と名付けた教養科目を持っていること。地域の歴史から知恵を学ぶ姿勢を持っている。

実は、中村区は豊臣秀吉ゆかりの里でもある。この地にあった水難と対峙しつつ、水運のネットワークを巧みに操った大名であるせいか、水を使う戦い(備中高松城水攻め)、水とともにある都市づくり(大阪など)に強い。片や陸に強いとされる徳川家康は、水難を避けて台地の上に城を築いた。長い眼で見て正解であったが、その台地の繁栄が、秀吉の里に及んでくるのが、平成の世である。中村区の歴史は奥が深い。

佐野吉彦

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