建築から学ぶこと

2011/03/09

No. 269

春はきざしから

3月3日はひなまつり、桃の節句であった。本来は旧暦で数えていたので、約1ヶ月さきに本当に桃が咲く頃と合致していた。季節のずれは一見妙だが、満開の春の前触れ行事と考えると納得がゆく。そもそも日本の3月は年度末、学生の進路や企業の新年度人事(そうだ、国家予算も)が固まる月であり、春から始まる局面を準備する月だということである。今年はキリスト教の暦にある「灰の水曜日」も3月の9日になっている(灰の水曜日は枯れ野のメタファーで、40日ほどあとの復活祭までを、春の蘇りを待つ四旬節という。復活祭が春分以後最初の満月の日との定めであるので、日程は移動する。灰の水曜日は逆算で決まるが、今年は例年より遅めである)。いろいろなところで今年の3月の行事は4月からの鍵を握っていそうだ。

前触れと言えば、江戸の浮世絵師・歌川国芳(1798-1861)の作品「東都三ツ股の図」がいま話題を呼んでいる。隅田川の情景を描いた向こう、深川あたりを望む図のなかに、実在した火の見櫓と並んで描かれている不思議な高層構築物をめぐってである。それはロシア構成主義のようでもあり、上海の電波塔(東方明珠電視塔)をも連想させるが、方角的にはまさしく東京スカイツリーである。それは予言なのか希求なのか?もし国芳が、風景には適切な規模のアクセントが必要だと考えたのなら、墨東エリアはようやくそれを実現する段階に入ったという説明になる。波乱の20世紀ながら、建築は真面目に意思を受け継いだということか。

そうではなく、素直に江戸末期の時代変化を感じとって、これからはこんなのが流行りそうだと思ったのかもしれない。いずれの場合も、未来をポジティブに捉えていることと受け取りたい。推定1831年の春のカンバスは明るく光っていたのだ。

佐野吉彦

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