建築から学ぶこと

2007/09/19

No. 99

辺境で起こること

近代パリでは、2度にわたり環状の壁が整備された。1784年に改修された壁は今日のパリの10区分を囲み、1841年の新設ではエリアが拡大して20区分を包んだ。都市を安定的に維持するためには古代から壁もしくは濠の構築が伴っていたが、その歴史の最後を飾る企てがパリの壁だと言える。それほど守るべき価値と求心力がこの時期のパリにはあったのだろう。それゆえにと言うべきか、壁も市門も歴史の変化の速さに抗しきれず、短命に終わる。革命のエネルギーは市門を襲撃の対象とし、壁の外のうねりが壁を取り除く力となった。今日、壁の跡は幹線道路となり、門の位置は交通の結節点となったことを考えると、企ては結果として短命にはならなかった。

都市における企ての背後にあるのは、その時代における仮説である。そこでつくられるものの設計思想がしっかりしていると、長持ちするのだ。そのことをパリの東北隅・ラ・ヴィレット運河に沿うエリアで確認できる。最初の壁に設けられたルドゥー設計の市門が、運河の基点で孤独に生き延びている。ここが一時は「辺境」だった。その時代特有の理想主義的でシンボリックな形態は1世紀あとのモダニズムに重要なメッセージを残した。

そのポイントから運河は東北へと真直ぐ伸び、1841の壁の手前にあるラ・ヴィレットパークに至る。運河の両側に広がる、屠殺場があったゾーンを複数のシステムと巧みな装置で関係づけたのはバーナード・チュミ(1944-)の構想力だ。これはパリの「辺境」を再定義・再構成する企てだが、その思想は普遍的な方法論として世界各地に巣立つことになった。パリの強い求心力の外縁部に生まれた、切れ味ある問題意識と言える。

辺境と言えば、いま小嶋一浩さんが加わっている中央アジア大学プロジェクトは、ソ連の解体に伴い変化した地政学的バランスを安定化させるミッションを宿している。かつて荒野を断ち切った国境沿いから、ダイナミックな方法論が紡ぎ出される予感がある。辺境は歴史を変える可能性を秘めているのだ。

佐野吉彦

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