2016/08/31
No. 537
人工知能(AI)をめぐる議論はますます熱を帯びてきた。結局は、現状で人間が知恵を使いながらこなす作業も順次AIの守備範囲に置き換わるであろう。実は、似たような光景を人類はすでに経験している。交通の進歩、工場での自動生産、PCやネットの進展は、次々に人間が果たしてきた役割を奪っているが、人類はその動きの中から新たな活動領域を発見することができたのだ。ここまでは、機械との共生に成功していると言えるだろう。今後のために過去から学ぶべきなのは、自らが機械に使われていないかどうかをチェックすることである。すでに、そしてこれからも、機械にはかなりの正確な作業を委ねることができるし、状況をふまえての行動選択も可能であろう。しかし、そこには使う人間の意思決定は必要だろうし、作業の成果に対する責任を負う意識も保持しなければならない。
それは建築生産においてもあてはまる話であろう。とりわけ、建築をつくりあげるプロセスにおいては、参画するプレイヤーの<身体>が大いに期待されてきた。たとえば、発注者と設計者との間に消耗戦のような意思の探りあいがあったりする。何よりも繰り返される技術やデザインの検討。設計者のリーダーシップが施工技能者の作業に影響を及ぼす面も大きいのではないか。これらとともにある現行のプロセスは時代変化のなかで選ばれたスタイルであるが、AIを用いた生産システムがこの中に導入されれば、<身体性の発揮しどころ>もずいぶん変わるはず。それはなかなかエキサイティングな未来ではないか。
どのように各分野の専門家と機械が、限られた時間で役目を適切に演じ、そのうえで人間しかできない仕事を拡張することができるのか。そもそも建築生産の歴史とは、取り組み方の創意工夫・問い直しの歴史であり、将来変化に目を向けないわけにはいかない。それを乗り越えることで、建築界と、社会が生き延びることができる。