建築から学ぶこと

2013/03/20

No. 367

宗教にある一貫性、宗教建築における闊達さ

三浦正幸著「神社の本殿―建築にみる神の空間―」は、建築における神仏習合は<日本の風土に合った建築の発展としたほうがよさそうである>と述べている。現代の神社建築にある、複雑な<組物>や<彩色>はもともと仏教建築由来であり、逆に高床式や檜皮葺や杮板葺などは神社にあった要素が寺院に伝播したものだという。お互いの建築情報を借りあっていたのだ。

近世になって唯一神道へのシフトが起こったとき、建築にある神仏習合あるいは混淆の現状は忌避すべきものとされる。明治初期になると強引な分離政策が推進されたのは、やや無理のある局面であったと言えよう。明治以降の神道の発展は目覚ましいものではあったが、本来の神社建築は地域らしさとともにうまく歴史を積み重ねてきたものだった。寺院についても、タイやミャンマーにある荘厳な寺院と比べてみるとき、日本においてはこの風土らしい定着をしたものと感じる。

結果として今も神社と寺院には建築の細部に多くの共通性があるが、両宗教施設は誰でも容易に見分けがつく、と三浦は述べる。これはきっと、信仰のかたちがはっきり違うからではなかろうか。宗教離れが指摘される現代においても、神社と寺院の固有の祈り方は確実に継承されている。

ところで、新しいバチカンのあるじが初の南米(アルゼンチン)出身の教皇(法王)フランシスコとなった。カトリックも強いが、プロテスタントも増加している南米。この地域のカトリックと言えば、<解放の神学>と呼ばれる社会派の運動が目立った時期もあった。戦後の大きな変革を担ったヨハネ=パウロ2世は、東欧(ポーランド)出身だけに社会主義的な動きに神経を尖らせ、<解放の神学>を評価しなかったと言われる。カトリック固有のかたちが崩れる危険も感じたのかもしれない。今その南米に光が当たったのを見ると、保守的なベネディクト16世(ドイツ出身)の統治の時代を挟んで、屋台骨が崩れぬ基盤を確認したからであろうか。もちろんオスカー・ニーマイヤー設計の教会でも、敬虔な祈りが受け継がれているわけだし。

佐野吉彦

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