建築から学ぶこと

2009/06/10

No. 184

正しい議論は正しい手順から

あるおおきな会の、会務の運営のための委員会の進行は、会長であるNさんが担当することになっている。私はその会のメンバーなのだが、彼の鮮やかな仕切りようにはいつも感嘆している。たとえば、Nさんが重要な案件を審議して実行策をワーキンググループに委ねようと運んでいるときに、自説を長々と論じて混ぜっかえす人が現れる。そうしたとき、Nさんは「大変貴重な意見をいただきました。ぜひ、あなたもご一緒にこの件を詰めてゆきませんか」と議論を「おりたたみ」にかかる。年輩の参加者が議題とは関係ない政治的な問題を報告しようとしたときは、「大先輩には誠に失礼ではございますが、ここでの話題にはふさわしくありませんので、どうかお控えください」とぴしっと切り取る。いろいろな世代を巧みに捌ける人だ。Nさんが企業でもさまざまな団体でもリーダーを務めているのは、こうした冷静かつ現実的な対処ができるからであろう。議論とは、いたずらにその場に対立の構図を生み出すことではなく、その場を納得性のある合意に導くことが重要であり、議長にその手腕が問われるところだ。横にいる私はその見識にいつも多くを学ぶことができる。

一方で、建築の会合における議論は、目的が「かたち」を確定したり評価したりすることであれば、最終的にはうまく集約がなされているように思う。それは参加者の職業技術が共通のものであるからで、基盤を共有できているからだ。ところが、目的が「かたち」以外のことを取り決めることになると、妥協を許さない硬骨な主張が議論を後戻りさせることがある。このケースは発言者にも問題はあるが、ここで進行者が説得にかかるようなことがあると、余計火に油を注ぐ。どうやら、どちらも建築とは各自の主張によって成り立つもの、という知見にしか基づいていないようなのだ。談論風発は歓迎するとしても、議論をいかに集約するか、会議の正しい手続とは何かについて技術を磨いておくことは、建築を正しく生み出すためにも必要なことではないだろうか。

佐野吉彦

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