2011/07/13
No. 286
現代に生きるわれわれの由来は、過ぎ去った時代にある。そのことは、建築を手がかりにして実感することが可能である。何と幸いなことであろう。教科書で覚えるよりも、法隆寺を訪ねて聖徳太子をイメージし、日光東照宮を通して徳川家康が握ったものを想像するほうが効果的だ。近代においても、1918年の大阪市中央公会堂が慎重な改修を経て維持されていることで、相場師・岩本栄之助の個人寄付があって会堂が成立し、民が発意した官民協力の先例が大阪に生まれた興味深い経緯を知ることができるのである。
いま、挙げた建築は、文化庁によって「国宝・重要文化財(建造物)」としてリスト化された中にある。地域のなかでは291件の京都府が最も多く、近畿府県に上位が固まっている。東京都は70件で第9位であるが、近代建築で唯一の国宝である迎賓館赤坂離宮がここに含まれている。西洋風のつくりでありながら、インテリアの発想は汎アジア的な視点さえ有する巨星と言えよう。それに比べると東京の重要文化財の顔ぶれはもっと近寄りやすい。国立西洋美術館、三井本館、早稲田大学大隈記念講堂、高島屋東京店、東京駅丸ノ内本屋など、みな現役で働く面々である。桜田門や日本橋になると、ジョギングしながら通過し体験してしまうくらいの親しみやすさがある。
戦災に遭いながらも、そこにそれが残っていることは喜びたい。それらはデザインの質の高さを示しているが、それぞれが宿す物語を組み合わせることで近代東京の大きなストーリーを編むことができる。それほどに建築は雄弁な存在である。だから、ひとつの建物を壊したり、配慮の欠けた改修をしてしまったりすることは、大きな影響を生み出す。建築を人文学的にもきちんと取り扱うべきことを、現代のひとびとはもっと気に留めるべきなのではないか。