2007/12/19
No. 112
この夏に、五十旗頭真(いおきべまこと)著「占領期」を読んだ。終戦からサンフランシスコ条約締結までという、まことに舵取りの難しい時期に首相を務めたひとたちのポートレートを描いたものだ。それぞれは様々なめぐりあわせによって地位に就きながら、重大局面でリーダーシップを発揮し、そのひとでなければなしえない成果を残している。幣原喜重郎の場合は新憲法制定などがそれに当たる。ぎりぎりの場面で筋を通した彼らであるが、眼前にあるすべての課題達成に成功したわけではない。そのあたりの苦闘について、著者は冷静かつ敬愛の情をこめて書き記している。
本のなかにマッカーサーは預言者モーゼのように振る舞おうとしたのではないかとあり、この司令官の心根についても言及している。そう見ると、首相たちはさながら強さと弱さを兼ね備えるユダヤの王たちのようだ。機会があったので、旧約聖書を意識されたのかと著者に尋ねてみたら、否定はされなかったが、どちらかというとシェイクスピアだとのことだった。いずれの場合も堂々たるドラマである。役者がそれぞれ厚みのあるパーソナリティなのだ。
さて、今年は個性的な建築家たちが亡くなった年だった。黒川紀章・北代禮一郎・薬袋公明・石井修と名前を並べるとこちらも実に厚みがある。すぐれた作品を残しただけでなく、重要な場面で記憶に残る発言を残された方が多い。私はずっと後輩になるが、幸いなことに、いずれの方とも切迫していない場面で親しくお話しする機会を持つことができた。ある方は新幹線でお隣りどうしになり、ある方は審査員をされていたアイデアコンペに私が入賞したときの表彰式で。そうした場でも建築家としてのなみなみならぬ「張り」が感じられ、存在感は晩年に至るまで大きかった。終戦後の首相たちが政治のかたちをゼロからつくったように、彼らもまた戦後における先駆者だった。そしてやはり、そのひとでなければなしえない成果を残している。