建築から学ぶこと

2011/12/07

No. 305

この年の、温故知新

先ごろ、建築の大学生たちと話しているときに、これからの建築界はどうなりますか?という話が出たので、オトナは数年先まできちんと見通せるけれど、50年先の社会は君たち自身がつくりだす側にある、と答えた。人は先を見通すために歴史を学び、予測技術を開発するなどしてきたけれど、時代の変化まで読み切れるものかどうか。50年や100年後の状況を保証するのは並大抵ではないことである。

いま、100年前の想像力を駆使して作ったインフラ、たとえば運河や放水路、鉄道が有効に機能する例を見ると、先見の明も認めたいところはある。ただどこまで現在の社会状況まで想像できていたかどうかはわからない。きっと、良く構想されたインフラがあればこそ、そこに新しい知恵や解決が積み重ねられていったというのが真実であろう。

それでも、先を見通すこと、少なくとも技術にかかわる構想については意味がありそうだ。ここに興味深い事例がある。第294回で言及した1938年の「阪神大水害」は危機管理にかかわる教訓を導きだした反面、復興への努力はその年成立した「国民総動員法」とも重ねられてしまったのだ。本山村(現・神戸市東灘区)役場には「未曾有大水害 復興に現はせ銃後の力」というスローガンが掲げられた(<阪神・淡路大震災記念/人と防災未来センター>での<兵庫と水害>展にて)。

この事実が教えるのは、危機に向きあったとき、真正面から取り組むべき方策が直接関係のない目的と混交されがちなことである。今年だけでも、いくつかそういう例が挙げられるのではないか。要注意。人も社会も政治も、誤ったチョイスをするリスクをつねに抱えている。現代のわれわれは、それゆえに、勘違いを起こさないために過去をていねいに学ぶ必要があるのだと思う。過誤の判断は、数年先の範囲では大きな損失に至らない可能性がある。若者は信用できるオトナの言うことを見定める眼を持つべきであろう。

佐野吉彦

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