2006/06/21
No. 38
どの鉄道会社でもそうだが、車内放送のわずらわしさには辟易する。主要駅を発車するたびに、携帯電話や不審な荷物、優先席などへの注意喚起を何度も促されるときだ。遅延に対する度重なるお詫び、イベント観光案内もお節介だし、停車中にホームと車内で同時に同じアナウンスをしているのは無駄としか思えない。もしかしたら説明責任の履き違えではないだろうか?重要な注意が含まれるとしても「過剰」すぎる。
目に見える車内も、やはり過剰である。広告については、鉄道会社によっては節度があるが、総じて美しくない。優先席表示についても、当社は全席優先席ですという私鉄(これは納得できる!)にはゾーン表示がないが、目立つ色でゾーンを限るケースが多い。これは美しくないだけでなく、座るべき人の尊厳を高めることにならないと感じる。
目に見えるものでは、車体の外壁を全面広告に貸し出すケースは感心しない。そこまでして稼がなければならないのか?基本的に、車両のデザインには路線や列車等級の明示という目的があるので、これはデザインの基本を外している。ついでに言えば、バスにもある車体広告は、交通混雑のなかで、その存在を隠してしまう。これは不親切であるとともに、危険を招く可能性がある。
基本的に地域に立脚している鉄道会社は、その沿線のイメージと相互依存関係にある。従って、主要任務である輸送部分を通じて、利用者の五感と心地よく響くものでなくてはならないと考える。聴覚的にも視覚的にも、鉄道は快適であってほしい。それは地域のクオリティ向上につながるものだ。
五感の残り、嗅覚や触覚についても、トータルな車両デザインのなかで考慮されてゆくべきであろう。混雑時の蒸し暑さ、エアコンから流れるかびくさい臭い、クッションの座り心地の悪さ、揺れの多い車体なども鉄道会社や沿線のイメージをダウンさせかねない。