建築から学ぶこと

2020/02/12

No. 708

魅力ある中之島であるために

淀川から南へ分流してきた大川は、天満橋のあたりで西に転じて堂島川と土佐堀川に分流し、3キロ下って再び合流している。この1/12500の緩やかな勾配を持つ2つの川が挟む中州が、都市大阪とともに歩んだ中之島である。正確に述べるなら、現在の淀川が明治期に開削されるまで、大川のほうが淀川の本流であり、遡れば17世紀までは大和川も流れ込んでいた。中之島周辺は水の媒介によって、豊かな歴史と物語が積み重なってきたのである。
面積723.266㎡の小さな島は江戸初期に開発が進む。天保年間(1830-44)には40の蔵屋敷が並び、交易・米相場でにぎわう地に育った。近代以降の中之島は、今度は土木・建築の挑戦の場となる。土木においては、都市と水の共存が大きなテーマであり、水の浄化を目的として設置された堂島川可動堰(水晶橋、1929)土佐堀川可動堰(錦橋、1931)は、都市景観としても美しい解である。氾濫を防ぐために整備されたカミソリ堤防は愛想に乏しいところがあるが、親水遊歩道の形成、北浜あたりにある店舗外部のテラスはそれをうまく克服しようとしている。
建築も名作が揃っている。中之島の東半分は日銀大阪支店、大阪市中央公会堂や大阪府立中之島図書館などのランドマーク的な建築群が印象深いし、西半分は高層オフィスビル群が軒を競い、ここにフェスティバルホールや大阪中之島美術館(建設中)などのミュージアムが色を添える。面白いのは、国立国際美術館や京阪中之島線のように、地下にも豊かな空間を生み出す試みも生まれていることだ。近現代の中之島は、アイディアの宝庫と言ってよいだろう。
残念なのは東西方向が幹線道路でタテに分断されているところで、中之島の都市景観はひとつながりになっていない。たとえば中之島全体を歩いて結ぶ気持ちの良い道が整えば、来訪者に鮮やかな印象を与えるだろう。中之島に潜む隠れた魅力を引き出す工夫はさらに必要ではないか。

佐野吉彦

中之島の高層ビル群

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