建築から学ぶこと

2008/12/10

No. 160

私たちの、ボウルパーク

横浜市にあった根岸競馬場と西宮市の鳴尾競馬場は、いずれも戦時中に使命を終えた。それあぞれスタンドの一部が残っている一方、トラックがあった敷地については、前者が森林公園、後者は武庫川女子大のキャンパスなどに用途が変わっている。たぶん、悪くない継承だ。都市の歴史の足跡は今後とも保たれるだろうからである。しかし、そこでの競馬がどれほど白熱したかの具体的記憶はすでに薄れている。個別の馬や騎手をめぐる物語が語り継がれていないと、過去にあった事実との距離は少しずつ広がってゆくことになる。

その点、かつての中日球場(現・ナゴヤ球場)を新幹線の車窓から眺めるのは感慨深いものがある。姿は変わっていても、そこで中日-阪神の2軍戦をやっているのが見えると、まだ借りは返していないぞ、がんばれと声を掛けたくなる。ここには、風景にかつての名プレイヤーたちの物語がしみついているので、物語の集積がその土地に時空を超える価値を与えていると言えよう(なお、阪神ファンの立場としてそう思う)。

一方で、風景がすっかり入れ替わってしまうことを嘆いてはいけない。近年、大阪球場は<なんばパークス>、西宮球場は<阪急西宮ガーデンズ>という呼び名の大型商業施設に変貌した。南海も阪急も球団を手放しており、加えて主要駅に近接した経済価値の高い場所であれば、放っておく手はないだろう。それゆえ、これらの空間にはスタジアムのかたちを直接想起させるものがない(ただし、メモリアルは設けられている)。それよりも、ここから新たな物語が再始動することに重きを置く。かつての球場はプレイヤーと観客を分かつ仕切りがあり、グラウンドは観客が使えるところではなかった。いまは回遊する客が店舗のスタッフたちとゆるやかに交じりあう広場である。球場の熱気が存在しなければ再開発への道は途切れていただろうが、さらにその先、新しく豊かな物語を育む場所へと成熟する可能性が宿っている。今度の物語は、客の側の主体性に委ねられることになるだろう。

佐野吉彦

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