建築から学ぶこと

2016/12/14

No. 552

折れない思想を手がかりにする

まちづくりにおいて、先人が残した遺産、あるいはそこにこめられた思想は、大きな力となる。たとえば夙川地区(兵庫県西宮市)は、大正から昭和にかけて形成された郊外住宅地であり、現在も人気の安定した場所である。時代を追うと1920年、いまも玄関口・流動の中心である阪急夙川駅が開業し、1932年には現在のカトリック夙川教会聖堂が竣工した。モダニズムの住宅がこの地に姿を現したのはそのころである(安井武雄自邸など)。そうして1937年、夙川沿いに南北4キロ続く夙川公園が完成した。土手の高みの樹叢(松と桜)の中を、さほど幅広ではない川と、道路が平行してゆっくりと南に下ってゆく。合理性と穏やかさを包含したスタイルである。水路を伴うパークウェイとしては先駆的な取り組みであり、当時、事業費用の一部を受益者が負担した。それは有効に働いたと思う。その後の戦災を免れ、高度成長期にあっても、帯状の緑地というフレームは崩れずに今日まで来た。
夙川公園は、東京の善福寺川緑地やボウルダー(米・コロラド州)のボウルダー・クリークと同じように、地域の生態系を維持し、地域の風景を印象づけている。独自な点は南北の交通インフラとしても機能しているところにある。1995年に阪神大震災で夙川地区は甚大な被害を受けたものの、そこから今日ある夙川の価値を回復・維持するために、戦前に構想された「しっかりとした緑の線」が重要な役割を果たした。計画思想が広く行き渡っていたのは幸いなことである。
じつはもうひとつ、夙川にはもともと「しっかりとしたメインストリート」という看板もあった。阪急夙川駅前からカトリック夙川教会に延びる東西の狭い道がそれである。現在分断されてもうひとつ活力を欠くが、先人が残した景観要素をうまく繋げば蘇るのではと感じる。そこには新たな思想をこめることになるだろう。

 

参考:「パークウェイとして整備された夙川公園の特徴とその意義」(越沢明、国際交通安全学会誌vol.23,No.1:1997)

佐野吉彦

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