2006/06/07
No. 36
1970年の6月の初め。私の高校に学生運動の大波がやってきた。すでに安田講堂の攻防、東京の高校における高まりは前年に終息しており、神戸への到着はずいぶん遅れたことになる。その春、大阪では万博が開幕。タイミングとしては安保改定を6月末に控え、まわりには高揚した気分はあった。家永教科書裁判も世の中を賑わせていた。そんなある日、まず先鋭的な生徒の一団が中庭に集まり、安保継続に異議申し立ての声を挙げ、ストを煽った。
実はそこからすべての波が静まるまで3週間もなかった。幾度か生徒集会が開かれ、議論をひとつひとつまとめ、そのなかのあいまいさを取り除く手続きをおこない、揺り戻す動きを抑止していった。前年に坊主刈りと制服を円滑に自由化することに成功していたわが校の生徒たちは、過激さを望まなかった。安保はこのさい、看過する。生徒集会で、ストの是非を問うたことに対する決定は<われわれが受ける教育にかかわる問題について3日間の集会をおこなう>というものであった。それが重要という結論を生徒は出し、学校がそれを承認した。
当時の日記を見ると、最後の日は教室を皆で掃除して終了、とある。目に見える成果としては現代史に充てる時間数がそれ以降充実したくらいで、穏やかなクロージングだ。しかし、不思議な高揚の日々であった。少なからず民主主義的にものごとを取り決めたプロセスは、教師から教わる知識以上に、高校生にとって大切な原体験となったと思う。
先日、大学施設の竣工セレモニーで、臨席していた国会議員が、「医学部に進学したのに医者にならないで退学する学生がいると聞くが、遺憾だ。高校時代に進路指導をきちんとしなければいけない。そのためにも教育基本法を見直す必要がある」と言っていた。果たしてそうなのか?自力で学ぶ過程で自らの適性を発見できたなら、それは批難すべきことではないと考える。向きあった現実から何を学ぶかが大切なのであって、型にこだわる教育は実は人を育てないのだ。