建築から学ぶこと

2009/04/15

No. 177

それは潮目か、そうでないか

京都では、隣の家から、お稽古事に精が出ますなあと言われたら、御礼ではなく、やかましい音を出してすみません、と謝るべきものだそうだ。この牽制というべきものが京都の文化的伝統を上手に保温してきたのだろう。これからの都市がより流動化することを考えると、付きあい方の方法論をきちんと編むことは重要である。京都のようには出来なくても、京都には学べる。建築家が関与しながら、その地域にあるべき公共性について掘り下げてみることは、この時代にこなしておくべき作業である。

「新建築」4月号掲載の「緊急アンケート/建築家と社会の構図」では、現在未来についてさまざまな建築家がどう見通しているかが紹介されている。悲観論や業務領域拡大指向あり。いま述べたような公共性について問い直すべしとする視点があり、そこでさらに制度設計に建築家が主体的に踏み込むべしとする主張が目に付く。潮目が変わった実感があるというよりも、潮目を変えてゆかないとまずいのではないか、という切実さが全般にゆきわたってきている。そのあたり、建築界にいる多くは基本的にモダニストであるにちがいない。Architectural Record 3月号の特集「Surviving the Recession」でも、客観的なデータをふまえつつ、前向きの姿勢を促している(IPD: Integrated Project Deliveryの視点、など)。案外この時代は、建築家が冷静にシンプルに戦おうとしているようだ。

ところでアンケートへの回答のなかには、切れ味があっても不遜さを感じるものがある。付き合い方の方法論とは、不遜さを包含する懐の深さが伴うべきものだが、付き合ってカドがとれたところでこなれてくる。その面でアンケートの集計で「異業種との協働が増えましたか」へのYESの答が予想ほど多くなかったのは気にかかる。協働することで得られる知恵は公共性を深化させるきっかけになるだろうだから、こういう時代こそ閉じこもるべきではない。

佐野吉彦

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