建築から学ぶこと

Learning from Architecture

貴志康一とつながるもの

  • No.688
  • 2019年Sep18日

音楽家・貴志康一(1909-37)の静かな再評価が進んでいる。25歳だった1934年にはベルリン・フィルの指揮台に立ち、自作の交響曲「仏陀」(1934)を含むプログラムを振っている。短い人生だったが、ヴァイオリニストとしてもすぐれた腕を持ち、映画監督としての才能も示していた。貴志康一は教養ある実業家の生まれで、母の実家である吹田にある西尾家(今も健在で重要文化財)で産声を上げ、網島の家(現在太閤園の敷地内)に育ち、のちに今北乙吉が設計した芦屋の洋館に移ったことから阪神間に住んでいた外国人音楽家と出会うことになり、西洋音楽の手ほどきを受ける縁が生まれた。そして、甲南学園の小学校から高校に進学した1926年の渡欧から、貴志康一の音楽のプロとしての活動の花が大きく開いてゆく。
今日、そのようなドラマを「甲南学園・貴志康一記念室」でたどることができる。加えて、今月にはゆかりの地芦屋で、「貴志康一とその時代」展があり、「仏陀」など数曲を再演する演奏会があった。室内楽も歌曲もあわせて聴くと、いずれもロマンティックで耳あたりの良さを持つが、なかなか精妙な組み立てである。指揮は、同じ阪神間の灘高校出身の木許(きもと)裕介で、今後は貴志作品をどんどん取り上げたいと抱負を語っている。そのような次第で、会場には甲南関係者や灘高関係者の姿が多く見られ、貴志康一の存在はいろいろな結び目になると感じた。
さて、もともと貴志康一は美術家を志望していたようだ。貴志家と縁があった美術家の太田喜二郎の影響もあっただろう。その太田は自宅の設計を藤井厚二に委ねたし、吹田の西尾家の離れは武田五一の設計による。貴志康一の姿は、関西の建築界の流れの中にも見えかくれしている。

  • 「仏陀」再演@ルナホールのロビーにて

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