2007/07/11
No. 90
雨が上がった朝、上野駅から上越線の特急に乗る。水上を過ぎて緑は鮮やかさを増し、終点の万座鹿沢口に着く。ここから小さな村営バスに乗り換え、鹿沢園地に降り立つ。そこは静かでおおきな森の入口。鹿沢インフォメーションセンターはその森の中にある。ここでの平倉直子さんの仕事は、メインの建物を設計することと、森の中をたどる道を生き生きとさせ、森を再編集することであった。
このひとつながりのプロジェクトは、群馬県・環境省との協働によって実現している。自然をいじったり、遠巻きにしたりするのではなく、人と自然の距離を適切に保つための仕掛けづくりだ。人工的な森には面白味はないが、手付かずの森でも人は不安になる。建築を突出させないことと、一方で巧みなデザイン行為も忘れないことのバランスに正常な判断プロセスがみられる。自然を畏敬しているが、遠慮はしていない成果だ。
そもそも人間にとって、自然とは複雑な間柄である。生物としては自然の一部でありながら、自然への眼差しは文化的な束縛を受けているからだ。高山・高地にも宗教的な意味とアルピニズムの視線がまとわりついているし、鹿沢の森もまた多元的な歴史を宿している。事実、緑も水も豊かな現在の森はかつて放牧の地であり、炭焼きがおこなわれた里近い山であった。森は、人の暮らしを維持するための場であり、今もその痕跡が残る。
それゆえ鹿沢の森を再編集する作業の目標は、森の自然誌を読みとるためのパースペクティブを示すことと、人文的景観を読み解く切り口を提示することの複合となる。インフォメーションセンターから歩き始めた来訪者は、さりげなく、しかし明瞭に整えられた表示板や架け橋などの装置の助けを借りながら、身体を通して森を立体的に学んでゆく。多様性を宿す森と向きあうとき、そこに「複眼的な編集プロセス」・「複眼的な学びかた」が伴うのは必然だ。
鹿沢のデザインワークには、さまざまな関与者固有の、「歩く視点」が流れこんでいる。自然との関わりあいのなかから誘い出された知恵だ。インフォメーションセンターは、サステナビリティを備えた建築として自立しているが、このひとつながりの試みの意義は、ここからさらに人々のサステナブルな活動を導き出すことであるのだと思う。