2014/09/17
No. 441
イタリア文化会館は、日伊間の文化交流を促進する政府機関。この9月、その主管事業として「須賀敦子翻訳賞」の創始が発表された。イタリア語から日本語への優れた翻訳を顕彰するものだが(隔年実施)、これはルネッサンスの哲学者の名前を冠したピーコ・デッラ・ミランドラ賞の改称である。現在のイタリア文化会館館長・ジョルジョ・アミトラーノ氏は日本文学者であり、須賀敦子とは交遊があった。かねてから、翻訳を通じて日伊間の文化の相互理解に努めた須賀の名を用いることを願い、ようやく実現の運びとなったものである。縁あってイタリア文化会館は須賀蔵書の多くを保管しており、この作家/イタリア文学者の功績を受け継ぐかたちが整ってきた。
今秋は、神奈川近代文学館で「須賀敦子の世界」展(10/4-11/24)が開催されるなど、須賀イヤーともいうべきエポックが揃うことになったが、松山巖著「須賀敦子の方へ」(新潮社)の刊行もその一つに数えてよいだろう。松山氏は、渡欧するまでの須賀の足取りをたどりながら、意識の動きを丁寧に追っており、静かで美しい文学として結晶している。その中で著者は須賀が大事にした「胸中に建造すべき伽藍」とか「灯台のような存在」といった言葉にあるような<かたちのイメージ>を生みだすものを掘り下げてみてもいる。
実際、須賀は建築そのものにも強い関心を抱き、建築を手掛かりに思想の本質や異文化との距離感を確かめていた。本が言及しているように、須賀は私にとっては親族に連なる人なので、ここに登場する建築や風景はじつは私にとっても縁が深い(私も登場する)。本も建築も、人格を形成する上で重要な鍵となるのだ。ところで、アミトラーノ氏にしても松山氏にしても、生前の須賀と交流のあった人たちは見るからに優しい風情である。人と出会うこともまた、人のありようをかたちづくっているかもしれない。