建築から学ぶこと

2008/06/25

No. 137

構想するひとたちへ

しばしば、世の中の批判の矛先が官僚に向かうことがある。たとえば、彼らがつくるのは硬直した制度じゃないか、とか。与野党を問わず「政治家」からの批判は、場面によってパフォーマンスを含むので要注意だが、時に「民」の側からの申し立ては的を射ることがある。でも、私の見方はやや醒めている。官僚は<全体最適>を得手とするゆえに、必ずしも現時点での<部分最適>にならない。そこを突く指摘は視点が異なるのではないか。切れ味の良い応答や柔軟な修正案が出にくいのは止むを得ない。そう理解している。

彼らが大変なのは、その<全体最適>思考に冷水が浴びせられるときである。広汎な自然災害や社会的事件が起こったとき、あるいはせっかく整備したインフラが無用のものになるときである。そうしたときには、なぜ時代の先を見通す視点がなかったのか、との批判を浴びる。それは企業経営においても起こる話で、確かに大きな構想や構図がないまま時間を無駄にしたのであれば、責められるべきかもしれない。だが、構想した結果が時代に合致しなくなったことを盾に取って批判しても生産的でない。なかなか未来など正確に予知できないのだ。

日本の長期的ヴィジョンについて取り組んできた下河辺淳さん(1923-)の場合はどうだろう。建築出身で、国土庁事務次官などを歴任して、戦後の国土形成や震災復興などに重要な役割を果たしてきた下河辺さん。彼には、結果がヴィジョン立案者の思い通りにならなかった現実にも学びながら、そこからまた適切な構想を組み立てようとするしなやかな足腰がある。官僚時代に、その責任を果たすために「構想のための基礎体力」を鍛えていたのだと思う。直接お話を伺ったこともあるが、終始静かな空気をたたえつつも、ポジティブな考え方をする人だ。真に構想する人とは、こういう人間像を言うのだろう。今も昔も、官僚は<全体最適>の職人であってほしい。

佐野吉彦

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