2007/08/22
No. 95
初めて野球場に行った日の記憶はいまも鮮やかだ。小学校の低学年であった私にとって、すべてが驚きだった。甲子園球場の、遥か高みに翼を広げる大屋根(銀傘)も強烈だが、これを越えてファウルが場外に飛んでいったことにまず興奮した。こどもは普段、野球かソフトボールをやっているから、自分との力の違いが身体的感覚でわかるのだ。そうして、世の中には敵わぬ人がいるものだと知る。目撃した私は、その打者が阪神タイガースの主軸・藤井栄治であったこと、そして彼がバットを振り抜いた瞬間を記憶している。
阪神のマウンドには、石川緑が立っていた。昭和37年と39年にタイガースは優勝しており、その時代の主力投手である。知名度は村山やバッキーに比べて劣るかもしれないが、その日の私の眼は、アンダースローのしなやかなピッチングフォームに釘付けになった。ちなみに、この日の相手は中日ドラゴンズで、4-2で敗れたことは記憶している。となると石川緑は打ち込まれたはずなのだが、ゲームの進行に全く覚えがない。私には石川のフォーム(そして藤井のフォーム)がよほど印象的だったのだろう。
少なくとも、その日からずっとアンダースローの美しさに好感を抱き、微妙な均衡のうえに成り立つ危うさに惹きつけられてきた。そこには石川緑という女性のような名前、外野に美しく広がっていた芝生の緑が印象を強めるはたらきをしたかもしれない。それでも、根幹にあったのは「型」の及ぼす影響力の強さだと思われる。その「型」がステージから退場しても、美しい「型」が時代を制圧した記憶は広汎に残る。いまほど映像記録が残りにくい時代であるだけに、一層の手ごたえがあるものだ。少年は、そうやって眼前のできごとから人生の教訓を象徴的に切り出すことができ、美しさの本質を学ぶことになった。
父が機会を与えた球場の一夜は、私にとって生涯続くものへの扉を開いた日だったかもしれない。