2011/01/19
No. 262
阪神・淡路大震災は、結果としてさまざまな局面で、人と人がつながることの重要さを再発見する機会となった。1月17日の震災発生直後の救援から個別の再建、街区の再建へと、その推進役を果たしたのは活力を宿していた既存のコミュニティであったり、課題解決のために立ち上げられたコミュニティであったりした。そこから1998年のNPO法設立に至る時代の動きは、戦後の重要な節目であったのではないだろうか。震災復興とは、まちにとって必要な「居場所」(*)を具体的に取り戻す取り組みであったし、NPO法は、正しい「公共」のありかたをひとびとが自発的に探り当てる行動を支えた。遅れて明らかになってくる多様性の共存や次の世代の育成といった課題にも、95-98年あたりの経験はおおいに寄与したはずである。人とは、乗り越えるべき課題が眼前にあれば、連携しあって適切に解決する知性と倫理観を有する存在である。1995年の被災地にいた私はそう信じることができた。たぶん日本人は、この時期の経験があるがゆえにその後の世界各地の災害に深い共感を持ち、具体的行動につなげることができたのだと思う。
考えるに、その後の日本政治の激しい変化がこの時期の歴史的意義を狭小化している可能性がある。しかしながら、プロフェッショナルたる者はどのように位置づけられようとも、自らのミッションをつねに信じて率先垂範すべきではないか。災害復興や地域再生にとって、建築をつくるプロセスの充実は必要な条件である。建築の専門家こそ、建築の価値を軽視する論調に振り回されて積極性を欠くようではいけない。その意味で1月17日はわれわれのプロフェッションの原点を考えなおす格好の日ではないか。私は、この日を<建築の日>と呼びたいと思っている。