2009/09/09
No. 196
1970年の大阪万博は、都市システムや建築におけるさまざまなチャレンジがあり、社会像の転換を象徴するイヴェントであった。管理下に置かれたような、解放区のような不思議な時間で、そこにはその後捨てられたアイディアも、開花したアイディアも並存していた。そのなかで、現代音楽については、じっくりと音を紡ぐ動きがあったのは興味深かった。高校1年生の私は、鉄鋼館のスペースシアター(設計:前川國男)でテープ録音のクセナキスを聴き、自作を演奏する武満徹を間近で聴いた。ドイツ館では、期間中会場に腰を据えていたシュトックハウゼン(1928-2007)が、電子音楽を自演していた。その曲は、その日流れるラジオの音と演奏を掛け合わせるもので、音楽の実験室にいるような感じだった。私は球状のオーディトリアムを持つドイツ館に通い詰めているうちに「はまり」、日が変われば聴こえ方の違う同じ名の曲(「シュピラール」だったと記憶する)を幾度か聴くことになる。ちなみに、シュトックハウゼンの出番の前はベートーヴェンと決まっていたので、この万博でのドイツ(ちなみに、西ドイツである)は新旧のクラシック音楽を使って巧みに文化プロモーションをおこなっていた。
去る8月31日、そのシュトックハウゼンのオーケストラ曲「グルッペン」(1955-7)がサントリーホールで演奏された。3つのオケ群+3人の指揮者という構成であり、そのために仮設舞台が左右手前側に2つ追加設置されている。曲は2度同じように演奏され、休憩をはさんで、客は席を移動して異なる響きを味わうようにという趣向(作曲者の指示)になっていた。さすがに、音の奥行き感覚が違う。今度は同じ日のうちに聴こえ方の違いを経験したということになる。それにしても、鋭い切り口を持つ曲ながら、響きもステージのしつらえも前衛的に聴こえない。移動させることさえ、音への関心・曲の構造の理解にうまく誘いこむ配慮のようにも感じる。これは演奏者も聴衆も、開館20年のこのホールのことを視覚的にも聴覚的にも理解できているからこそ、成り立つ演出と成果であろう。万博からの40年とは、音のチャレンジを穏やかに楽しめる環境をつくってきた時間だとも言える。ここにあるのは実験室的空気ではないけれど、使い方の転換はホールの価値を確認させ、可能性をさらに拡げることになる。