2006/11/29
No. 60
学生のとき、管弦楽団員だった。数年間のこの経験から学んだものはいろいろとある。たとえば、曲のスコア(総譜)を楽器ごとに分解したパート譜を、各奏者がにらんで磨きあげ、それを合奏して再構成するという作業は、まさに組織的行動の訓練と言えた。施工のプロセスとも似た点である。合唱に比べて多様性に富むオーケストラが面白いのは、メロディーをともに形づくることと、和音という響きをともに構築すること。いわばヨコとタテの両面を、音色も音量も異なる楽器によってつくりあげるところである。スポーツのなかではラグビーが近いように思われる。
さらに、オーケストラを通して、西洋音楽に内在する思考方法を学ぶことも重要だった。楽曲は情感を伝えるための方法論であふれている。音型の繰り返しあるいはヴァリエーション、転調。1小節4拍子の中に3連符を配してつくるメロディーのふくらみ、楽器の受け渡しと重ねあわせ。有効なメッセージは周到な手順と複雑な技巧によってつくられることを知るわけである。これはすべての表現行為に共通するものではないだろうか。
以上述べたことはスコアに記されているもので、演奏に先立って行動の見取り図は示されていると言える。だが、興味深いのは、その枠を前提としてもなお、個人の表現が他の奏者の表現意欲を誘発しつつ曲が紡がれる側面があることだろう。難しいパッセージを凌ぎ切る奏者への畏敬は、己の難局を乗り切る力を生む。観衆を相手にする以前に、構成員がお互いを認めあい、刺激を与えあっているのだ。つまり、オーケストラは多様性を宿したコミュニティのプロトタイプなのである。
言い忘れたが、私はチェロを担当していた。なかんずく、人の音を聴く側に回ることの多い楽器である。