建築から学ぶこと

2007/03/14

No. 74

宗教的な瞬間

地鎮祭で催される神事は、工事に先立つ適切な「けじめ」である。関係者が一同に会し、気持ちを合わせて拍手(かしわで)を打つ。監理者・施工者にとって式典の手配は、工事期間に起こるあらゆる手配の第1号である。式典での適切な挨拶と、敷地に縄を張って建築位置を示すこと(工事上の縄張りとは別)は、発注者も受託者にとって、取り組む事業の大きさを実感するために効果的である。加えて、祭儀を司る神官は地域に知られた顔でもあるので、近隣との融和協調のためにも神事は建設工事に欠かせない行事である。

神事の主要部分とは、降神の儀と昇神の儀で括られた時間である、この時間帯だけ、神が出張してきて滞在し、民の願いを聞く。聞き届けた証拠として、最後に神の恵みの神酒を頂いて神事を終える。天照大御神が民の笑いに誘われて雨の岩戸から顔を出したように、この国伝来の神は必要があれば姿を現す存在である。約30分の神事はこうした神道の本質を盛り込んでいて、興味深い。

同じような意味では、カトリックにおけるミサを通して、キリスト教の本質を知ることができる。ミサのクライマックスはキリストの最後の晩餐を象ったもので、受難の前日にキリストが自分のかたどりとして手元のパンと葡萄酒を分け与えたできごとに由来する。晩餐会場は歴史の中で教会という固定した空間となり、神とはここを通して仰ぎ見ることが基本となってゆく。そのせいなのか、カトリックの司祭が現場に出向いて行なう地鎮祭は、どこか安定を欠く感がある。

神道と共通するのは、祭儀の途中で普通の飲食物が聖なるものに変異することである。すなわち、人智を越えることを神は可能にするということを、ふたつの祭儀は語っている。神の存在を信じるかどうかは個人の自由だが、人々の頭にしかなかった理想が現実に建築のかたちとなって実現するという不思議さを、聖なる儀式が象徴した。それを通して人々が「類希れなること」の尊さを理解したのである。そうして介在した教会建築は西洋文明を支え、日本の神官は日本建築の精妙さの実現を司ってきたのだ。

佐野吉彦

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