2014/07/23
No. 434
先ごろ開催されていたサッカーのワールドカップではチームの強弱が明瞭だった。日本代表は大会という空間に適応できず、敗退した。作戦の意思統一が不足していたのか、プレイヤー相互の<情報の自発的なインテグレーション>を欠いていたのだろうか。世界で活躍するひとりひとりの能力は高いものがあったが、チームとしての強い個性が輝くことはなかった。いずれにしても、誰にも同じ条件で用意される長方形の空間が発火したりしなかったりするのは興味深い。
音楽のアンサンブルには勝ち負けはないが、新たなチャレンジをおこなう方向性が共有されていれば、集団としての個性がしっかりと備わってくるようだ。カトリック夙川教会での延原武春指揮テレマン室内オーケストラ・室内合唱団によるG.Ph.テレマンの「マタイ受難曲」(7月19日)は、この作曲家ののびやかな特質が良く表れた演奏だった。この聖堂は耐震改修後に響きが明瞭なものに変わった(小屋組を固めたからと想像する)。それぞれのプレイヤーはその特性を感じ取っている様子が窺えた。そしてG.Ph.テレマンにふさわしい空間であると捉えている。空間の特質は有能なチームによって発見されたのである(楽曲も再発見されたのである)。それを導き出したのはこのオケと合唱団の個性ということであろう。
結局のところ、個性とは空間と出会うことで立ちあらわれるものだ。建築の設計者は、ある程度は使い手の動きを予測して計画するものだが、往々にして起こる予測を越える反応こそが建築と人とをもっとはつらつと動かすことになる。建築の機能も都市のマスタープランも、建築と人との間のドラマによって変化するのだ。それは社会の意思なのかもしれない。建築のまわりはいつも「ライブ」なのである。