建築から学ぶこと

2011/02/16

No. 266

冠婚葬祭が与えるかたち

人は生まれて死ぬまで、いくつかの重要な節目に出会う。それを集団の儀式として視覚化したものが、冠婚葬祭である。つまり、成人式・婚礼・葬儀・法事において、人はどこかでその当事者となる。このところの日本はスタイルが簡略化されたり、バリエーションが広がったりしていて、葬儀においては密葬などの親族行事と、偲ぶ会のような外向け行事を分ける例が増えた。後者では献花会場は用意されても宗教色は抜かれている。成人式と言えば形骸化する一方で、受章・顕彰を祝う会がむしろ目立ってきている。儀式とその手順(プロトコル)は時流や高齢化社会の変化を受けているのだ。斎場やホテルのマネジメントぶりはますます手馴れたものとなっている。

本来、神が結び付けていたはずの婚礼をめぐっては、手順の変化が建築のありかたを変えていると言えるだろう。私が出席したいくつかの婚礼を見ると、まず、施設内のウェディングチャペルでの結婚式を「牧師」がコントロールし(あたかもアイコンのように)、中途で集合写真をはさみつつ施設内の披露宴会場に無駄なく誘導される(時間差によって別のグループ同士は顔を合せずにチャペルから別ルートで別会場へ振り分けられる)。披露宴は媒酌人を省くことで雛壇が軽量化され、さらにテラスでの立食によるデザートタイムが加わるなど、かつての中心軸が弱められている。一連の演出が巧みなことから、何が婚礼のプロトタイプだったかさえ忘れてしまうのだ。

つまるところ、冠婚葬祭は、節目に向き合う当事者の真摯さが明瞭であり、そのことを取り巻くコミュニティが認識共有する場なのではないか。マネジメントや空間の見事な処理は、そのためにあるのであって、スマートにこなすことは当事者にとって必要十分条件ではない。第一、喪うことの悲しみも、結婚するまでの多大なエネルギーも、ひとときの祭事で語り切れないものだろうから。

佐野吉彦

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