2008/08/27
No. 145
われわれは、人間にとって使いやすく安全であるように、都市が設計されるべきと考える。なのに、その結果が地下鉄の長いホームや階段であったり、空港のセキュリティゲートであったりすると、うんざりする。現代都市の施設は、人間の円滑な動きを阻害してはいないだろうか?携帯の天気予報や時刻表は移動中におおいに助けになるが、その精緻さやゲーム感覚と、実際の空間が対応しているわけではない。このあたりの整序に、取り組むべき課題はありそうである。
一方でこの夏、局地的豪雨がもたらした災害が印象に残った。天候異変は地球温暖化やヒートアイランド現象が引き起こしたもの、という見方があるが、私自身もいろいろな場所で、思いがけず激しい雷雨に行く手を阻まれることがあった。どうやら都市は急な増水にうまく対応できないようになっている。局地的な異常値は、平時の備えをいとも簡単に打ち破ってしまう。それなら都市を頑丈にしようとすることはもちろん有効だが、平時のシステムが必ずしもパーフェクトでないことを社会がよく認識し、共有しておくことも必要だろう。自然が潜在的に抱えている力にはかなわない。それを意識するだけでも、人命はもっと守れたかもしれない。
ところで、小野田泰明・東北大学大学院教授が取り組む「人間天気図プロジェクト」は、人の流動を可視化する試みである。精緻なデータベースであるが、それを新しい空間づくりと積極的にリンクさせることが彼の目指すところのポイントである(「建築雑誌」2008年8月号)。分析によって、「せんだいメディアテーク」の連続する空間のなかで、人は適切に分布していることが明らかにされる(穏やかな気候下の温度分布図に似ている)。つまり、これを逆に表現して主張するならば、多様に、緩やかに動きまわる人間の性状をふまえて空間を考えるべきである、ということになる。
この暑い夏が終わろうとする一方で、新たな理論が求められる季節が始まるようだ。