2011/04/27
No. 276
新幹線が仙台までの運転を再開し、高速道路ネットワークも整い、航空便も限定的ながら動きを始めた。この1ヶ月余りで「線」については復旧しつつあるが、「面」の回復・「点」の再活性化にはまだまだ時間を要しそうだ。被害の大きい岩手・宮城・福島の3県は、行方不明者の捜索を続けながら、個々の事情に沿った長い復興プロセスを歩き出している。このような、被災状況の地域差は、たとえば建築制限をめぐる岩手と宮城の判断の違いとなって現れている。岩手は安全確保を優先して制限の期限を定めないが、宮城は設定した期限までに復興方針を定める、としている。復興のための財源をめぐる議論についても、両知事は同じ前提に立たない。この状況は、同じ災害名称では括れないほどに実態が異なることを物語っているのではないか。
一塊の津波は共通原因であっても、三陸の各市町村にそれぞれに多種多様な爪跡を残し、機能が毀損した仙台港、名取、石巻が向きあう復旧課題は異なる。福島の原発は独立して注視すべきテーマであることは言うまでもない。比較して被害が軽い自治体であっても、広域経済圏の観点から眺めれば、重い影響が認められる。それゆえに、今後を展望するときには、それぞれの地域にある歴史、コミュニティの成熟度、現状認識などを丁寧に検証しながら進めなければならない。現在多くの専門家が現地に入って復興に協力しているが、それら外部の知恵が、地域が自立して取り組む復興とうまくかみあいながら長期的な構想が紡ぎ出されることが望ましい。そのためには、皆が圏域全体の取り組みの見取り図をうまく共有し、個別に進める努力がきちんと実をつけるようマネジメントすることが重要だと考える。
いまはまだ、被災地を眼前にすると、途方に暮れる思いがする。しかしながら、ここは専門家として知恵を正しく生み出すべき局面ではある。そうした思いを強くする春である。