2014/10/01
No. 443
東海道新幹線が全通して50年が経過した。私には、その前身として東京大阪を走っていた在来線特急「こだま」車中の6時間半の記憶があり、さらにそれに先立つ特急「つばめ」のこともかすかに覚えている。かつての東西二都の移動は、現在で言えば2度の機内食が提供される東南アジア便くらいの距離感があったかもしれない。1964年に始まる新幹線は旅のゆったりとしたリズム感を変えた。日本のビジネス環境も首都東京のパワーも、これを契機として大きな転換と飛躍が起こったことは間違いない。
さて過日、名古屋から紀勢本線をたどって新宮駅(和歌山県)で下車し、そのあとさらに紀伊半島沿いに本線を進んで和歌山を経由し、大阪の南のターミナル・天王寺までの長い旅をした。合計するとほぼ7時間半というのは、在来線ならではの時間経過である。新宮での用事は近畿大学付属新宮高・中の新校舎の竣工式。かつて林業で栄え、世界遺産である熊野速玉神社を擁する新宮市は、近畿大学の創設者ゆかりの地であり、その縁もあって大学関係者には新宮出身者も多い。大阪にある本部と新宮を結びつけたのは紀勢本線という強い絆ではなかっただろうか。新宮駅舎の壁面に、かつて天王寺駅にあった、鍋井克之による熊野の風景を描いた壁画が移されているのも感慨深い。
こうしてみると、鉄道には社会を変える力が宿っていることは明白だ。そこには、単なる社会インフラであることを越えた、人の心にやわらかく作用する「体温のようなもの」がある。ところで、つい先ごろ、逝去した原信太郎さんが製作してきた鉄道模型が移された「原鉄道模型博物館」(横浜市)で、原さんのお別れの会が催された。その場所から、鉄道のぬくもりがあたたかく伝わっている。世界的にも知られた鉄道愛好家は、鉄道がつくりだす世界をていねいに伝えようとしたのだと思う。