2022/02/09
No. 806
1920年前後の大阪の建設ブームは都市景観を変貌させた。新しいビルとともにある中之島の姿、ビルの高層階から見渡す道頓堀川と土佐堀川の表情は、これまでにない新鮮なものだった。国枝金三が描く中之島風景(1927)や、池田遙邨による「雪の大阪」(1928)に宿る晴れやかさにはその時代の気分が表われている。それは「バウハウス叢書」(1925-29)にあるグローバルな動きとの共時性でもある。前田藤四郎の版画「屋上運動」(1931)も含めると、高さを変えて眺めてみれば新しい大阪はなかなかいいぞ、と感じているのではないか。
以上挙げた作品を含んだポリシーあるコレクション展とともに、大阪中之島美術館が開館した。遠藤克彦さんの設計による黒いキューブ状の大きな外観は強烈であるが、精確なディテールを伴っている。上階に収蔵庫と展示スペースが納められ、限定して開けられた窓が効果的である。一方で、低層階と吹抜けを介して美術館の活動は周囲に自然につながっている。その求心性と連続感は、この美術館が果たすだろう使命を表現していて好ましい。アートに関わる活動は相互にも、社会ともうまく連携・連動した方がよいのに決まっている。1920年代の建築がそうであったように、新しい美術館は人をときめかせ、さまざまな動きを誘いだすのではないか。
なお、2階エントランスへはスロープと階段で丘に登ってゆくようなアクセスだ。周囲の公共施設などとはブリッジで接続している。それらは中之島にはなかった自然な高低差の誕生であり、またかつて島の背割りの位置にあった道筋のリメイクとも位置づけられる。その実現には苦心もあったと思うが、高さを変えて都市を眺めるきっかけになる。時代の変わり目でインパクトをもたらしてきた中之島に、要石となる建築が登場した。