建築から学ぶこと

2020/08/05

No. 732

大阪国際空港ターミナルビルの50年

1969年に、大阪国際空港(伊丹)に新たなターミナルビルが竣工、翌年に滑走路が3000mに延びて、大阪万博ならびに関西エリアの空の玄関が整った。この空港は70年代までは騒音訴訟にも向きあってきたが、やがて1994年に開港した関西国際空港関空に国際線が移ると、国内便に限定される。1999年、竣工30年目の大改修では、空いていた国際線であった南ターミナルがANA、国内線の北ターミナルがJALという現在に続くゾーン再編がおこなわれ、再び賑わいが戻ってきた。

だが、その後の2010年以降の変化はめまぐるしい。その年に伊丹の廃港の可能性が政治の舞台をひとしきり賑わせたあと、それまで競い合う間柄だった伊丹と関空が新関西国際空港()に経営統合したのが2012年。さらにコンセッション方式による空港運営権の民間売却で関西エアポート()が運営を開始したのが2016年。そこから4年を経て、空港機能を停止することなく、出発ロビーの奥行きを広げ、バゲージクレームを一体にし、商業エリアを充実させ、保安検査場を整備するなど、空港の新たな起動力となる大改修が進み、この夏にほぼ完結に至った。インバウンドやLCCで勢いをつけてきた関空と違うポジショニングもここに反映されている。

激変の10年は、航空旅客数が大きく伸びた時期であり、そこで新方式がどこまでチャレンジができるかを試す歳月でもあっただろう。また、周辺の交通インフラも充実し、あらゆる点での快適さへの要求も高まった。そこまで大きな動きがあったにもかかわらず、50年経ったビルの骨格は大きく変えなくても、そうした改変にうまく対応できている。竣工当時に50年後の発展は想定できたかもしれないが、外観も、エントランスの大空間のスケールも、印象がさほど変わらないのは不思議なくらいである。変えないことを前提にしたわけではないが、変えないことは合目的であったのだ。

佐野吉彦

ほどなく賑わいは蘇ります

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