2021/04/07
No. 765
作家の村上春樹が、母校・早稲田大学の入学式に登壇したとの報道があった(*)。そこでのスピーチの後半で、<物語は僕らが、僕らの意識がうまく読み取れない心の領域に光を当ててくれます。言葉にならない僕らの心をフィクションという形に変えて、比喩的に浮かび上がらせていく。それが小説家のやろうとしていることです。簡単に言ってしまえば、それが小説家の基本的な語り口です>と言っているところは、建築にかかわる<物語>と比べてみると面白い。建築はもちろんフィクションではないけれど、多くの物語に満たされているからだ。
建築設計には、機能をかたちに変換する作業が必ずあるが、それに先立って、人が人に働きかける契機がある。暖かであったり、せっかちであったり。様々なプレイヤー間の対話を通じてかたちが作り出されてゆく。そうなると、建築とは人と人の間に生まれる物語だという定義できるから、小説家の取り組みは一層気になるところである。
村上は<小説というのは直接的には社会の役には立ちません。即効薬やワクチンのようにはなれません>と抑えをきかせながらこう続ける。<でも、小説という働きを抜きにしては、社会は健やかに前に進んでいけないんです。というのは、社会にも心というものがあるからです。意識では、論理だけではすくいきれないもの、そういうものをしっかりゆっくりすくい取っていくのが、小説の、文学の役目です。心と意識の間にある隙間を埋めていくのが小説です。>と力強く言い切っている。われわれも、建築にあるパワフルな力以上に、ゆっくりとした、繊細な力を信じるべきだろう。良い建築を生み出すために、こぼしてはいけないものはたくさんある。結果として、ひとつの建築が長く時代を支えることになるのである。
* TBSNEWSサイトから引用