建築から学ぶこと

2010/06/02

No. 231

街角から生まれる価値

ある午後の「ロゴバ」の客は、箏属の楽器を携えた沢井一恵さんであった。その日私が耳に触れることのできたのは、五つの絃しかない、箏属のなかでもひときわミニマルな楽器である。デリケートなその響きを、その日、沢井さんはこの空間にある小さな2階の舳先から1階に向けて奏でおろそうと決めたのだ。そうして本番の5月28日では、これに加えて、7絃の楽器を中央に、外壁ガラス面の交わるところには琉球三線を、13絃と17絃については少し奥まった位置に据え、階段を昇ったり降りたりしながらひとつひとつ弾きわけた。すべて、最初の見立てに沿っている。「ロゴバ」の空間と向きあいつつ、箏の名手は丹念な切り出しを進めていった。時に雄弁に、時に呟くように。空気の密度は微細に色あいを変えた。

この「ロゴバ」とは安井平河町ビル、すなわち安井建築設計事務所の自社ビルの1階にある、西川純一さんが代表を務めるインテリアショップである。かつて街角に向いたガソリンスタンドだったこの吹き抜けた空間を使って面白い試みができないだろうか。この斜め向かいに事務所を構えていた音楽プロデューサー・平井洋さんに、そう私が問いかけたところからコンサートシリーズ「平河町ミュージックス」が歩み出した。その呼称は、音楽評論の小沼純一さんが提案したもので、音楽の複数の可能性を表す言い回しである(ふつう、musicは単複同形だ)。この街角には、新しい価値が生まれる可能性があるのではないかと、この面々は思いを重ねたのである。

もちろん、音楽家がその場所に魂を揺さぶられることがなくてはこの企みは成立しない。高橋悠治さんによる2曲が含まれた沢井さんの「鋭角的な」プログラム、当夜はその高橋さんも観衆のひとりとなり、どこか和やかな空気の、程よくカスタマイズされた空間が立ち現われていた。その日に固有な空間をつくるという試みを、これから淡々と続けてゆくのが「平河町ミュージックス」の基調と言えるだろう。

佐野吉彦

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