建築から学ぶこと

2012/08/22

No. 338

結びつける夏、那覇の空

那覇市歴史博物館で、戦前の古い写真を見る機会があった(*)。かつての那覇の風景には小気味よいリズムが感じられるが、ひとつの近代建築が風景のアクセントとなっている。それは、塔が印象的な1919年竣工の那覇市庁舎である。設計者・武田五一らしい繊細な意匠が、街をベネツィアの空気に染めている。市街は沖縄戦の壊滅を経て、今日のようなにぎわいが蘇った。その後首里城の建築物は復元されたが、那覇からこの建築が失われてしまったのは惜しい。それは戦後復興のモダニズムとも、地域性に拠る造型とも異なる趣向であるからだ。

ネットワークの結び目である沖縄は、文化と文化が交わる場所である。ここには歴史のなかでいろいろな結びつきの可能性があったが、現在の沖縄文化を象徴する芸術も食文化も、一見異質なものをうまく選び取って(選び取る運命になった、というものも含めて)活力を獲得し、明瞭な個性を生み出した。おそらく今後の沖縄も、さまざまな可能性のなかから方向を選択してゆくのだと思う。

この日・8月17日は、那覇空港国内線旅客ターミナルビルの増築工事の地鎮祭だった。ビル会社の花城社長のあいさつは、シンガポールの建国の父であるリー・クアンユーの「島国の経済レベルは、その国の港湾や空港のレベルを越えることはできない」というメッセージを重ねたもので、施設の充実は国と地域の使命だとしている。私は「空港の活気が増築を導きだし、建築が空港のさらなる活気を生み出す」と続けた。増便やLCCの興隆とリンクしている現在の施設充実の機運は、さらに別の可能性を引き出してゆくだろう。

ところで、式典はそれぞれが愛用する「かりゆしウェア」が正装となる。かつてのアロハシャツはいつしか沖縄モチーフをあしらった装いとして変容し、定着した。その道程は沖縄に宿る、たくましい<結びつける力>を象徴する例である。

 

*「セピア色の輝きー絵ハガキに写し出された戦前の沖縄」展、那覇市歴史博物館(県庁前の「パレットくもじ」4階)

佐野吉彦

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