2014/04/16
No. 421
歴史的に見て、国家と地域(地方。以下、そういう意味で用語を使用する)は目指すところがお互い違っていた。それは国家のほうが後から人工的に現れ、地域を位置づけにかかったと言うことかもしれない。そのなかで近代世界の運営の形勢ができあがり、戦争も紛争も平行して頻発したのである。やがてその揺り戻しとして国家は多文化であることに配慮するようになり、地域のほうは出来る限り自立しようと意欲を燃やすようになった。しかしながら、この理想的な姿が平和的に安定するまでには時間を要する。そのために国際機関は調整機能を受け持つが、一方で地域のレベルを少しずつ高めることが必要になってくる。そのとき、建築にはいったい何が出来るだろうか。
ところで、建築はどちらかというと、地域でも隣近所・近接街区といった狭い範囲のレベルアップを無理なくこなすことができる技術である。ではこの技量は国家と地方の関係に関わる大きな場面でも活きるものだろうか。試しにわれわれの最近の事例からいくつか演繹的に考えてみたい。ある大型の精神病院の設計では外に対して閉じていた塀を取り払って開放性を高めている。これは「地域のクオリティ向上に寄与する」ものだ。見た目の美しさとともに、多様な居住の共存を可能にする取り組みである。BIMを用いたプロジェクト運営プロセスは、その行く手に「社会システムへのアクセスを簡便・明瞭にする」というねらいを宿す。公立の小中併設校では、設計担当者が竣工後も授業に招かれ、ユニバーサルデザインのワークショップに携わった。これは地域の将来のために「人が自立的に育つシステムを実践する」フレームということになるだろう。
建築をつくるプロセスは、国や地域を運営するプロセスの一部でしかないが、大きな収穫をもたらす知恵を宿している。優れた市民社会はすぐれた建築づくりから始まる。私はそう確信する。