建築から学ぶこと

2019/04/10

No. 667

夢の芝生

相撲に春場所や夏場所といった季節名称があり、高校野球の大会には春と夏がある。そこに季節の鮮やかさと、勝負のすがすがしさ、観衆の熱い眼差しが交錯しているように感じられる。同じく、競馬にも桜花賞や皐月賞のような美しい命名があり、とくに、こうした季節には、緑に包まれた競馬場はまさに<夢の芝生>と呼ぶにふさわしい。じつは、近代日本における競馬は、150年を越える歴史がある。1866年に早くも横浜に根岸(のちに横浜)競馬場が開業し、その後明治時代に今日の競馬場のラインアップが出揃っている。いま目黒や京都(島原)にはわずかな痕跡が残るが、根岸森林公園になった根岸や、現在武庫川女子大付属中高の用地に変わった鳴尾競馬場(阪神競馬場の前身)には、かつての施設の一部が当時の記憶を宿している。
現在、競馬と競馬を一括して運営しているのは中央競馬会という組織である。そのひとつ、京都競馬場は1925年に大阪寄りの淀に移転した。その後に大スタンドの設計競技(武田五一が審査員の一人だったようだ)が行われて安井武雄が勝ち、1938年に竣工する。表現主義的作風の大作でありながら、すぐあとに戦中戦後の改築があり、オリジナルの造形が光り輝いた期間は短い。しかしその後安井建築設計事務所がさまざまな増築の過程で、その輝きを引き継ぐ任に当たることになった。
京都競馬場はもちろん重賞レースの桧舞台には違いないが、レースと関係なく訪れる家族客の憩いの芝生(レース用の芝生ではない)があったり、花火大会やマラソン大会(地下にある場道やバックヤードを走る)に貸し出されたり、エリアにおける貴重な公共空間として多様な使われ方をしている。それは、150年の歴史が生み出した豊かな土壌であろうか。あるいは、あらゆる世代の夢を吸い込んでいる場所と言うべきか。

佐野吉彦

今日は、KYOTO競馬RUN2019(JTB主催)の会場として

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