建築から学ぶこと

2007/02/07

No. 69

スポーツに見る「生命線」

言うまでもなく、チームスポーツにはそれぞれ特徴がある。ラグビーは手で球をしっかりキープできるが、蹴った球のころがる先に「ゆらぎ」が起こる。サッカーの球はずっと正確に飛ぶが、球のキープに苦労する。野球の小さな球は、確実にヒットする高い技巧が必要。効果的なプレーは、全員がその特性を体で理解して臨むことにより生まれるものだ。

ところで、各スポーツには意地悪とも言える反則が決められている。次々と球をつないでゴールラインを越えてトライ!と思ったら、スローフォワード(球を前に投げること)。長く絶妙なパス!が通ったはずがオフサイドの笛。気合をこめて討ち取る!構えのマウンドには、無常にもボークのコール。こうした、ゲームの昂奮を殺ぎかねない反則は、実はそれぞれのスポーツの生命線である。もしここを甘くすれば、プレイヤーの数、技術や筋肉の鍛え方も皆変わってしまうだろう。だからこそ、観客はジャッジを信頼する。

反則について考えてみると、建築の仕事において1日工程が遅れることは信用やコストには影響が出るが、致命傷とまではゆかない。だが、食材の有効期限・食品の賞味期限は1日過ぎて使ったら言い訳は出来ない。アウトである。建築において、構造設計書をごまかすことがありえないのと同じようなものであろうか。これが許されるなら、何でもありになってしまうからだ。

スポーツでは、技術の正しい適用とは観客のためになっている。すなわち<顧客は第1=技術は第1>である。世の中を騒がす、技術をめぐる隠蔽や捏造を見ると、<顧客は第1=技術は第2>という等式にいつのまにか変化しているようだ。こんな等式が許されるなら、建築においては、原論や教育も変わってしまう。不祥事に登場する専門家は生命線の存在を軽視していた。一方で、専門家にとっての顧客、顧客の向こうにいる消費者も、そのことに鈍感になっている。観客が冷静にみつめていることも生命線の維持には重要なのである。

佐野吉彦

アーカイブ

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

お問い合わせ

ご相談などにつきましては、以下よりお問い合わせください。