建築から学ぶこと

2015/03/25

No. 467

肉声がつくる、都市の価値

例えば木遣唄を聴くとき、あるいは歌舞伎の長唄を聴くとき、音はわれわれを江戸の空気へといざなってくれる。それだけでなく、現代に名を留める地点が、かつて都市のなかでどのような役割を果たしていたのかを、声は教えてくれる。木場は木のための場であり、向島は物語が始まる向こうの島だったわけだ。上方における人形浄瑠璃も同じだろう。いまは穏やかな中之島・大川の河畔の風景に、搾り出すような太夫の声を重ねてみると、心中天網島という名作もさらに鮮やかに浮かびあがる。

「音」の伝承/資産は、このように、都市の価値を高めるために大きな意味を持つ。音は目に見えないが、重要なストーリー・テラーの役目を果たしている。それだけに、歌い手には、かつての風俗や生活様式をふまえつつ、それを現代につなげる知性が求められる。そして、ここに「質の高い声」が伴っていることは必須である。先般逝去した、上方落語の桂米朝師匠は、その両方において卓越した人だった。私が愛読してきた「米朝ばなし 上方落語地図」(毎日新聞社1981)という著作は、大阪の都市史を掘り下げるための優れた教材だと感じるが、米朝さんはそのような知的基盤整備に熱意を持って取り組んでいた。でもそれ以上に、明晰に鍛えぬかれた声質があればこそ、安定した影響力を持つことができた。いろいろな面で、後進を育てる最良の資質がここにある。本人の声はもはや聴けないが、優れた弟子たちがその姿勢を受け継ぐだろう。

いま、都市の日常には、駅などでののべつまくなしの案内放送、通俗的な曲を使った環境音楽や発車メロディーなど、質の低い音であふれてきている。粗雑な声が都市を席巻すれば、情報伝達もあいまいになり、都市の質は低下する。生身の人間の語りはやはり重要だ。都市の未来のために、質の高い声と、それを聞き分ける質の高い耳を育てたいものだ。

佐野吉彦

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