建築から学ぶこと

2007/01/17

No. 66

震災12年 ‐詩の価値・建築の価値 その2‐

1995年の阪神・淡路大震災から12年。一瞬の破壊とそれに続く日々は重みのあるできごとだったが、そこに復興の歳月もずいぶんと重なったものだ。そのあいだに様々な社会の変化があり、震災の教訓もいくつか活かされた。例えば村山政権下で議決されスタートした特定非営利活動促進法(NPO法)は、震災時の自発的な支援活動がその胚芽となっている。震災当時、すでに発生直後の行政に出来たこと・出来なかったことがかなり明瞭になっていたので、それらの活動は、まちづくりに関わるNPOが果たすべき役割の基本姿勢を導いたと言えるだろう。

震災は建築や土木を破壊したゆえに甚大なのではなく、コミュニティを分断したことが大きかった。初期の混迷を通過するなかで、復興とはそれらの繕い直しであることを、皆が実感した。消失する前にあったまちのニュアンスを、消失した建築と生き残った建築との間にていねいにつくってゆくことの重要性を感じた。震災の記憶はNPO法施行の1998年にはまだ生々しいものだったと言える。

1995年はウィンドウズ95の発売の年であり、その後の携帯電話の普及など、情報社会の急速な発展は、コミュニティのつくりかたを変質させる端緒に着いた年である。いま、震災以前と比べて人々は多くの情報を共有できるようになった。情報化社会のプラス面だけを見るなら、官も民も、まちづくりについて多くの利便性を手に入れている。そのうち、震災復興は通常の都市再生と差が見えなくなってきた。2001年に起こった同時多発テロあたりから、セキュリティについての関心が高まり、まちづくりに新たな補助線が引かれた。頑丈さと機動性を備えたまち。震災の教訓は、様々な社会現象のなかで次第に溶解しかかっている。

それもある程度はやむを得ないとしても、震災によって何が問い直されたかを振り返っておくことは大切だ。どんな建築空間を、どのように継承し、日常的に用意すべきなのか。あのとき、言葉にして皆できちんと確認しあったように思われるのだが。

佐野吉彦

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