2017/03/29
No. 566
松尾芭蕉の<おくのほそ道>の旅は、深川から隅田川を遡行して始まる。「弥生も末の七日、あけぼの空朧々として、月はありあけにて光おさまれるものから、富士の嶺かすかに見えて、上野・谷中の花の梢、またいつかはと心ぼそし」と書き留め、「行(ゆく)春や鳥啼(なき)魚(うお)の目は泪」と吟じて、花盛りの江戸に別れを告げてゆく。当時の隅田川は利根川の水量をたっぷり背負っていたから、航路は楽ではなかったかもしれない。水圧を受けながらたどり着いたのが北千住。ここで下船し、日光街道をたどる長い陸路の旅が始まる。
現在の北千住(足立区)も、そうしたターミナル性を受け継いでいる。北千住駅にはJR常磐線と東武線、千代田線、日比谷線、つくばエクスプレスが結びあっている。東京の北東方向の玄関口だが、近年は千代田線経由箱根行き特急の始発駅にもなり、機能は拡大している。その便利さと乗降者数増大、そして教育機関の進出はリンクしているだろう。川で囲まれた狭いエリアながら5つの大学が進出してきており、若い世代も集まってきた。東京芸大キャンパスと関連してアートイヴェントも生まれているが、新たな展開はまだまだ可能であろう。
北千住には旧街道の街並みが残り、一方で「駅裏的」な表情も健在だ。街道筋と交わる細い路は格好の抜け道となって、どの世代にとっても居心地のよい空気を生み出している。そのような個性を活かせば、北千住はまちづくりの実験室として興味深い。ここにある課題のひとつは、人の滑らかな流れを遮っているかもしれない、便利だが巨大な鉄道施設である。その解決はこの地に固有の課題でもあるが、駅が巨大化するときに地域とどうつなぐかの課題を示している。ターミナルのまちからどのような普遍的な提言ができるだろうか。